雑記とかドラマ【相棒】の魅力とか!

2022年はドラマ「相棒」関連の記事が中心です。

【考察】「なぜ人を殺してはいけないのか?」ドラマ【相棒】杉下右京は鮎川教授に何と答えた??

なぜ人を殺してはいけないのか…。

 

そんなの当たり前じゃん、人を殺すなんてありえないよ、と思うのが普通ですよね。

 

しかし、もし目の前に「人を殺したくてたまらないんだ」と言う人が現れて、自分に銃口を向けられたら、あなたはその人を説得することができるでしょうか。

 

人を殺してはいけない明確な理由を教えることができるでしょうか。

 

2020年に放送開始から20周年を迎えたドラマ【相棒】は、その人気が衰えることなく2021年も最新シリーズが放送されています。

 

主人公は、水谷豊さん演じる杉下右京警部と、その相棒。警視庁の特命係に所属する2人が難事件を解決に導きます。

 

刑事ドラマですから、400近いエピソードの多くに殺人事件が絡んでいます。

 

その中には「なぜ人を殺してはいけないのか」の問いに真っ向からアプローチした作品もあります。

 

【相棒】が右京さんたちに託したセリフなどを振り返りながら、考察してみます。

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 (画像引用=テレビ朝日)

右京&社美彌子の恩師が仕掛けた難題の真意は?

【相棒】シリーズで「なぜ人を殺してはいけないのか?」という命題に向き合ったのは、【相棒13第15話「鮎川教授最後の授業」】とその後篇【相棒13第16話「鮎川教授最後の授業・解決篇」】です。2018年2月11日、18日に2週連続で放送されました。

どんな話?

右京(水谷豊)は、享(成宮寛貴)の後押しもあって、大学時代の恩師の古希を祝う会合に出席する。参加者は、恩師の鮎川(清水綋治)のほか、弁護士や大学教授、財務省の幹部など、特に優秀だった元教え子たち。その中には、最後の教え子だったという社美彌子(仲間由紀恵)の姿もあった。

 

一同は、鮎川の身の回りの世話をしている家政婦の黎子(石野真子)の手料理に舌鼓を打ちながら会話を楽しんでいたが、鮎川は突然、思ってもみなかった疑問を投げ掛けてくる。

 

「なぜ人を殺してはいけないのだろうか?」。次の瞬間、参加者たちは、強烈な睡魔に襲われ意識を失ってしまう。気がつくと、そこは外界から遮断された地下室で、その一角には命題への回答を求める書き置きが。しばらく後、地下室の扉が開かれるが、そこには猟銃を手にした鮎川の姿があった。(引用=テレビ朝日)

眠っていた悪魔が目を覚ました?

鮎川教授は元教え子たちに「実は人を殺したくてたまらないんだ。狩りで獲物を仕留めた時、これが人間だったらどうだろう?  同じように撃ち殺してしまいたい…そんな衝動に駆られるんだ。私の中に眠っていた悪魔が目を覚ましたとしか思えん」と話します。

 

鮎川は《設問:「なぜ人を殺してはいけないのか?」経験と知識を総動員し、考察して述べよ》と記された試験用紙を教え子たちに渡しました。

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鮎川のライフルによる威嚇射撃によって教授の本気を知った右京さんと社美彌子以外のメンバーが、答案用紙と向き合います。

 

その解答と鮎川の評価について、ドラマ本編では割愛されていますが、ノベライズ本『相棒 season13 下』(碇卯人、朝日文庫、2015年)では詳細に述べられています。

教え子たちの解答と教授の評価

鮎川の評価は次の通り。

 

「江田くん。モーセの十戒に言及したのは苦し紛れと言わざるを得んな。殺すなかれという神の言葉がどれほど人の耳に届くか怪しいね」

 

「吾妻くん。ある意味、殺人は最大の人権侵害かもしれんが、それを持って殺してはいけない理由を説明するのも無理がある」

 

「小松崎くん。確かにかつて最高裁判所の判決の中で『ひとりの生命は地球より重い』と書かれたことがあった。すなわち人を殺すことは地球を破壊する行為に等しいと君は言うが、いささか飛躍しすぎて説得力に欠けるな」

 

「溝口くん。君の『無念』という着想はなかなか面白い。殺される者の無念、残された者の無念。だが解答としては情緒的すぎるよ」

 

東大法学部の教授、財務省の幹部、ヤメ検弁護士らの解答を、鮎川は一蹴します。

 

「どれも及第点には程遠い。それもこれも君たちに真剣味が足りないからだと思う。そこで、ひとりに犠牲になってもらう。誰かひとりを選びなさい。その人物を私が撃ち殺す」

右京さんの解答にも及第点を与えず

今度は右京さんと社美彌子が本気になって設問に向き合います。

 

「杉下くん。素晴らしい答案だった。『なぜ』という問いの意義。殺してはいけない『人』とは何か。『殺す』とはどういうことか。『いけない』とはどういうことか。そして、法的正義と法的責任まで考察し、短時間でよくまとめあげた」

 

「社くん。君のも負けず劣らず素晴らしい答案だった」

 

鮎川は右京さんと社美彌子の解答には一目置いたようですが、「残念だが及第点はあげられない」と却下します。

 

右京さんと社美彌子の答案の内容が詳しく踏みこんで語られなかったことが、このエピソードの肝かもしれません。番組として「なぜ人を殺してはいけないのか?」についての明確な解答を示さないことで、視聴者が真剣に考えるきっかけになります。

 

右京さんは鮎川の心理を「悪魔を抑えつけるのではなく、逆に解き放つためにこんなことをしているのではないか」と推理しました。人を殺してはいけない理由などないと確信するための試験によって、心置きなく人を殺せる、と。

一人の犠牲を選んだ理由とは?

鮎川は「誰かひとりの犠牲」として家政婦の御堂黎子に狙いを定めて撃とうとすると、黎子は以前に鮎川から手渡されていた拳銃で、鮎川を射殺しました。

 

黎子の行為は正当防衛と見られ、検察が不起訴処分と決定し、身柄を拘束されていた黎子は解放されました。

 

しかし、右京さんたちが調べを進めると、黎子には鮎川を殺害する動機が存在することが判明します。

 

黎子は黎子の母親と御堂の子供で、黎子の母親が妊娠していることを知った鮎川は、強硬に堕ろせと迫っていたのです。

 

日本では出生前の胎児が独立して殺人罪の客体となるとこは否定されているが、胎児である黎子にしてみれば、まさしく殺されかかっていた…

 

そのことを悔やんでいた鮎川が、黎子に殺されるように導いていたと、右京さんは睨みます。

 

鮎川は、どうやら「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対する明確な答えなどないことを示すことで、黎子の心の中の枷を取り払おうとしたようです。

正当防衛か殺意ありだったのか

正当防衛であるから、黎子が鮎川を殺した事実は許される…ということで、絶対に人を殺してはいけないことはないと示されたわけですが、右京さんは「ここからが本題です」と言い放ちました。

 

黎子行為は本当に正当防衛だったのか。引き金を引く瞬間に、鮎川に復讐を果たすための「殺意」があったのではないか。

 

「撃たなければ殺される」と思って引き金を引いたのなら正当防衛ですが「ここで撃てば殺せる」と思って引き金を引いたのなら、殺人です。

 

「『なぜ人を殺してはいけないのか?』その問いに答えることは不可能です。しかし、人を殺せば罰を受ける。それは極めて明快なルールです。人が人として生きるために定めた万人が等しく従うべきルール」

 

それが、鮎川が課した設問への、右京さんの詳しい解答だったのかもしれません。

 

カイトくんが「殺意は心の中のこと」と私見を述べても、右京さんは「たとえそうであっても、人は犯した罪と向き合う必要があります。うやむやのままであってはいけません。しっなりと罪の意識を持つことでその後の人生が大きく変わるはずです」と毅然と対応しました。

心の中の「善悪」の判断基準

戦争において、殺人という行為は必ずしも悪いこととは捉えられません。むしろ称賛されます。

 

ということは、人を殺してはいけないかどうかは、戦争状態であるか平和であるか、時と場合によって違うので「絶対に」人を殺してはいけないというわけではありません。

 

鮎川教授が解答を求め、右京さんが示した通り「なぜ人を殺してはいけないのか?」の問いに答えることは不可能です。

 

一方で「善悪」という言葉があります。「善い」と「悪い」の違いを明確に分ける言葉があり、人はこの言葉の意味や価値を知っています。何が善いことで、何が悪いことなのかを、人間は判断することができます。

 

たとえ戦争の時には人が人を殺す行為がいけないことではないとしても、平和な社会では、殺人はいけないことだと人は知っています。罰という行為を設定することで、その認識は徹底されます。

 

鮎川教授は自身による行為の動機について「私の中に眠っていた悪魔が目を覚ました」と話しました。

 

「悪魔」が「悪」の象徴であるならば、鮎川教授は殺人が悪であることを知っています。

 

鮎川教授は、不可能であるはずの「なぜ人を殺してはいけないのか?」の解答を、誰よりも深く考察していたのかもしれません。

 

ただし、善悪の判断基準が人によって異なることには留意が必要です。

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善悪の判断を失ったロンドン時代の相棒

「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いの解答をを人の心の中の「善悪」の基準に委ねるという結論を導きたいところですが、このドラマはさらなる難問を突きつけてきます。

 

それが2017年の【相棒16】から【相棒18】の3シーズンにかけて放送されてきた、右京さんのロンドン時代の相棒である南井十(伊武雅刀さん)が登場するシリーズです。

 

右京さんは連続殺人事件の犯人が南井であることを見抜き、南井を追い詰めますが、南井は老化により感情のコントロールができなくなる「情動失禁」に冒されている事が判明します。

 

南井には、自分が人を殺し続けたという認識がありませんでした。記憶が混濁し心神を喪失してしまっている連続殺人犯を、裁くことができない状況になりました。

 

「善悪の彼岸」とは、善と悪の境界線のことを指し、その境界線はないと、フリードリヒ・ニーチェは自身の著書で善悪の基準を否定しています。

 

南井は、自身には善と悪の区別はありますが、記憶が消え自分をコントロールできなくなっている状態では、善悪そのものがありません。

 

「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いについて、善悪の判断を基準に考えれば、その答えがある程度は導き出されたとしても、善悪について「善い」か「悪い」かを判断できる思考を持つことができなくなってしまったら、その人は時に人を殺してしまう危険があるようです。

 

そこには「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いじたいが存在しません。

人を「死なせる」という無念

【相棒】シリーズでは、復讐、自己防衛、快楽のためなど、さまざまな動機の殺人事件が描かれてきました。

 

「なぜ人を殺してはいけないのか?」の問については、南井十のような例はありますが、基本は人の心の中の善悪の判断を尊重することが大事かと思われます。

 

最後にもう1つだけ、気になるエピソードがあるので、紹介します。

 

2001年に放送された【相棒プレシーズン3「大学病院助教授墜落殺人!」】では、重症患者に安楽死の処置をとった医師が、自身の行為について悩み苦しみます。

 

人間の生と死に関わる安楽死には各論があります。その中でこの作品はテーマを浅すぎず深すぎず明示して、視聴者に思考を促しています。

 

ドラマの最後に、たまきさんに「安楽死は罪のなんでしょ?」と問われた右京さんは「法律上は許されることではないですね。しかし僕は、人殺しと簡単に決めつけたくない気がします」と吐露しています。

 

「人は法のもとに平等である」ことを心情とする右京さんにしては珍しく心情の揺れを示しました。

 

安楽死や、鮎川教授のストーリーで描かれた中絶などのケースは「人を死なせる=人を殺す」行為に当てはまるのかどうか。

明確な解答がない超難問

「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに対して右京さんが鮎川教授に提出した答案は「『なぜ』という問いの意義。殺してはいけない『人』とは何か。『殺す』とはどういうことか。『いけない』とはどういうことか」を掘り下げたものでした。

 

明確な解答がないとされる超難問。

 

自分が相手による正当防衛で殺されるために仕掛けた罠が、かえって自分を撃った人間の心に深い傷を与えてしまったことを、もし鮎川教授が生きていたら、どう思うのでしょうか。