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【ドラマ感想文「相棒16-5手巾(ハンケチ)」】人はハンカチを握りしめて生きている

この記事では2017年11月15日に放送されたドラマ【相棒16第5話「手巾(ハンケチ)」】の感想を記述しています。

父の背中を追いかけて

「父と娘」や「正義と悪」という、刑事ドラマが背負う2つの普遍的なテーマ。
その影に潜む「得体の知れない何物か」。
【相棒16-5「手巾(ハンケチ)」】は、多くの視聴者が、父と娘の断絶に心を動かされたストーリーだったのではないでしょうか。
「正義」と書かれた習字の作品が並ぶ教室での授業参観。
小学生時代の樋口真紀は、作文で、普段は父親について、普段は厳しいけれど、やさしいお父さんであると発表して、満面の笑みを浮かべました。父は恥ずかしそうにしていました。
警察学校の教官をしている父の背中を見て、娘は警察官になりました。
父親は、娘が過去に巻き込まれた事件について、本人には話していませんでした。
なぜ父親は真紀を養子として迎え入れたのか。

右京さんの原点

刑事ドラマには、警察内部の人間模様について描かれた作品がたくさんあります。
「相棒」でも、過去に何度も、警察関係者が絡む正義と悪について、言及されています。
そもそも、土曜ワイド劇場で放送された「相棒」の第1作目のタイトルの一部が「刑事が警官を殺した?」です。
亀山薫が殺人事件の最重要参考人になってしまいます。杉下右京警部が亀山くんの無実を証明します。
「手巾(ハンケチ)」では、父親が転落して重傷を負った事件の最重要参考人が娘となりました。
右京さんは、娘の無実を証明します。
警察官にも、いろいろな人がいます。
相棒第1作で殺害された警察官は、何人もの女性との自分の性行為をビデオカメラで撮影していました。
撮影された女性の1人は、この警察官のことを「善人の皮をかぶった悪魔」と表現しました。
殺人事件の真相は、警察内部の八百長が絡んでいました。
現役警察官の人から見たら目も当てられないようなストーリーです。
だからこそ右京さんによる真相解明に救われます。
「しかし、ぼくは刑事です。あなたが自分の手で自分の罪を裁くのを見過ごすわけにはいきません!」
右京さんは「人は犯した罪を法で裁かれなければならない」という信念を貫いています。
この第1作目が放送されたのが2000年です。右京さんの正義は2017年の現在もブレていません。このテレビドラマはバケモノです。

「警察官をなめるんじゃない!」

「相棒」と警察学校といえば、【相棒10第16話「宣誓」】が思い浮かびます。この作品では、警察学校に入校した時の宣誓のシーンが出てきます。
訓練生が、警察学校で、警察官としての誓いを自分に何度も言い聞かせていました。
罪を犯した元警察官は悔やみます。
「私は、警察官として、あるまじき行為をしてしまいました。警察を辞めた後も、その思いだけは一時たりとも忘れることができなくて」
右京さんは後日、「花の里」でこの事件を神妙に振り返ります。
警察官について「それでも生身の人間ですからねえ。何かにとらわれてしまうことがあるものです」と静かに語るシーンに、警察官という職業のむずかしさと大変さが伝わってきます。
【相棒14最終話「ラストケース」】では、警察学校の射撃場で、訓練生が次々に射殺されてしまう、衝撃のシーンがありました。

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「手巾(ハンケチ)」には、警察学校を犯罪者養成学校として利用しようとする、とんでもない馬鹿野郎が出てきます。
これには右京さんも
「警察官をなめるんじゃない!」
と怒りをぶつけました。
カッコよすぎます。最高です。
「正義」と「悪」のコントラストが、フィクションのテレビドラマの中で「美しく」決まった瞬間です。

得体の知れない何物か

ただし、ここで注意しておきたいのは、犯人は右京さんの一喝にビビりはするものの、反省するかどうかはわからない点です。
たとえば右京さんの3代目相棒であるカイトくんは、右京さんに一喝されて、自分の罪と心から向き合うことができました。
警察学校を利用して、より高度な犯罪を企てる人間が、罪で裁かれた後に改心するかどうか。犯人は今後も「悪」の心を潜めて生きていくのか。

「警察学校」を「人間学校」に置き換えてみます。

「警察官」を「人間」に置き換えてみます。

娘は、父のような「警察官」をめざしたのか。父のような「人間」をめざしたのか。

右京さんのセリフが「警察官をなめるんじゃない!」ではなくて「人間をなめるんじゃない!」だったら。

めちゃくちゃわかりやすくなりそうです。

「相棒」は、警察官をめぐるドラマを通して「人間とは何か」という問いを投げかけてきます。

握りしめたハンカチに

 娘は、父が隠していた過去を知り、父を拒絶します。しかしどうやらそれは外面であり、心では重傷を負った父のことが心配でたまらないようです。
娘の心情はセリフではあえて語られず、ハンカチを握りしめている動作で表現されています。
右京さんは、芥川龍之介による短編小説「手巾」について、「いろいろな解釈がありますが」と前置きしてから、その内容を冠城くんと幸子さんに説明します。
子供を病気で亡くした母親が、先生の家を訪問します。母親は、楽しそうにみえるほど冷静を保っています。しかし先生は、母親が机の下でハンカチをくしゃくしゃに握りしめていることに気がつきました。
樋口真紀も、「手巾」に出てくる母親のように、父に対しての複雑な気持ちを押し殺しているのではないかと、右京さんは推理します。
この回のタイトルが「手巾(ハンケチ)」ですから、このハンカチこそ、話のキモです。
娘と父は今後、どのようにお互いと向き合っていくのか、2人の距離は縮まるのか広がるのか、想像の世界が広がります。
私は、どうしても気になったので、芥川龍之介の「手巾」を読んでみました。
最後に、ひょっとしたら、先生のところに現れた母親は、二重の演技をしているのかもしれない、とも解釈できる記述があります。
先生の心には「得体の知れない何物か」が残ります。「得体の知れない何物か」とは、この作品に出てくる表現なのです。

20世紀の大正時代に芥川龍之介が「手巾」の中で著した、21世紀とその先の未来への遺言なのかもしれません。

さあ、自分を見つめよう

他人の心はわかりません。
前回放送の「ケンちゃん」では、あまりにも純真無垢なケンちゃんに、周囲の人々が勝手に葛藤を抱いて愚かな行為に及んでしまいました。
人は、自分の弱さを認めたくなくて、他人を攻撃するのかもしれまん。

「相棒」と1話ずつ向き合うと、このドラマは「机の上にリアルがあり、机の下にフィクションがある」世界で、フィクションが私の心を侵食してきます。ゾワゾワします。
「相棒16」が始まって5話目。
ようやく「大切な人を信じる人、が救われる」回に行き着きました。
見終わった頃には涙があふれていました。
大切な人を信じる行為が報われるって、素晴らしいことなんだなと強く思いました。

ん?
私は人を信じているだろうか。
自分が感じている善意は本物だろうか。
机の下でハンカチをくしゃくしゃにしていないか。
急に芥川龍之介が表現するところの「得体の知れない何物か」が現れました。
何が起きるかわからない社会。
人は未来を知りません。
流した涙が、父と娘へのヒガミだったら、私はどんな凶悪犯よりも自分を理解できなくなるかもしれません。

 

 

来週までの課題

 

心の中のハンカチにアイロンがけできないのは、なぜですか?

 

追記?

「相棒3」では首相秘書のロリコンを怪演した佐戸井けん太さん、今回は警察学校の教官として、娘を男手一つで懸命に育てあげた模様(^_^;)

 

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